水の祭典と花火大会☆我が家の歴史・・・ベルの作品 花の手書き絵パート37
楽しみにしていた夏休み!。大阪から山口から市内から孫たちがそろった8月4日は ここ久留米の街も熱く燃える「水の祭典」の歩行者天国パレードが開催される日。今年で38回を迎えるこの一大イベントは いまではパワーストリートと名を変えて 盛大に行われる。
今年で結婚39年目を迎える我が家では この水の祭典の歴史とも重なる所が多い。子供が幼い時は 子供みこしの付添いでびしょぬれで参加したり 3人目の子が幼い時は毎年おばあちゃんと3人でデパートめぐりも兼ねて観覧して 仕事をしていた時期は昼休みにちょこっと覗きに行ったり2階の窓から眺めたり・・・。今では孫たちが「お祭り お祭り」とはしゃいでくれるようになった。(写真はいづれも久留米市公式HPより)
昼間は暑いので プールと温泉を兼ね備えたアクアスへ。この施設は2月14日に紹介したバレンタインデーに主人と行った温泉施設。 あの日 「みんな揃ったら ここに来れたらいいな。」と 夢見たところ。今は夢が叶った思いで胸いっぱい。大きな浮き輪を膨らましたので頭クラクラッになったけど 嬉しさはそれ以上。キャッキャッ笑っている孫たちを見ると元気百倍。
夕方からは メーンストリートでは 一万人の「そろばん総おどり」のパレードが始まる。「なんでそろばん踊り?」と思われる方は多いと思いますが、久留米絣で有名なこの街 昔から機織りの機械が家々にあって「トントンカラリ トンカラリ」と聞こえてきて その音がそろばんのカチャカチャに重なり そろばんを持って踊るようになったようです。「お祭りの雰囲気を楽しんできて」と送り出したあと 私は夕食の用意。付いて行きたいのは山々だけど 時間が限られているので仕方無い。「短い時間だったけど 十分楽しめました。」と お嫁さんと娘 孫たちが賑やかに帰ってきた。手には懐かしいお祭り出店の戦利品がたくさん。
翌5日は 350年もの間毎年引き継がれてきた筑後川花火大会。筑後川花火大会の起源は、久留米藩2代藩主有馬忠頼公によって、水天宮の社地社殿が寄進されたその落成祝賀にあたって水天宮奉納花火として始まったそうですが 物心ついた時から花火大好き人間で 毎年見に行きたいと泣いては親を困らせ 結婚して子供が小さい時は泣く泣くあきらめここ25年間は自転車で欠かさず見に行ってました。あの頭上でのヒュ~~バァァ~ンがたまりません。18000発は迫力あります。(ちなみに「久留米にきてみらんね」さんのブログを覗かれますと 凄い迫力の花火を動画で見る事ができます。)
が、しかしです。今年からはおばあちゃんを一人残す心細さを考え 私もお留守番です。みんなを長女の家に送り出し おばあちゃんとマンションの最上階階段側で花火観覧です。今まで毎年楽しんできたので 悔いはないです。数年前から混雑を避けて2か所から掲揚になった花火を楽しみました。子供と孫達は花火の下で十分楽しんだ事は言うまでもありませんが、最初はあの大きな音に怖がったとか・・・。
(綿100% 縁取りに豪華な刺繍入り 裏は全面銀コーティング 99、9%紫外線カット)
(綿65% ポリエステル35% 縁取りに可愛い黒の刺繍入り UVカット配合)
強い日差しに負けないよう 向日葵を力強く描いてみました。
花ことば 憧れ 崇拝
私の目は あなただけを見つめる
写真上をクリックされると 画面が大きくなります。
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